いにしえの旅~時空を超えて~

歴史上の人物・出来事に思いを馳せながら、ゆかりの地を巡る。

幕末維新を巡る御朱印旅 ~新撰組ゆかりの地~ 鶴ヶ城  会津編モデルコース




ー白虎隊・新撰組ゆかりの地、福島県会津若松市を訪れましたー



ここ会津には、新撰組局長・近藤勇、無敵の剣士、三番隊長・斎藤一の墓や、新撰組のお預かり、会津藩主松平容保公が居城とした戊辰戦争の舞台、鶴ヶ城などたくさんのスポットがあります。



道中、まったく情報無しの、運転手パパから、なんで会津が新撰組なの? の質問に、
会津藩 藩主・松平容保公は徳川家光将軍の異母弟。新撰組のお預かりで、会津藩と新撰組が、新政府軍と戦ったの。戊辰戦争だよ。  
さっくり説明。


剣とか武士とか。とにかく幕末好きな子供たちは道中ワクワクです。

街並みがなんかレトロになって来ました。民家の屋根が独特。重みのあるトタン屋根で、家紋が入ってたりしてカッコいい!







この辺の人たちは会津藩の子孫なんだろうかね~?

なんて話しているうちに最初の目的地に到着。




■ 鶴ヶ城(会津若松城)

〒965-0873 福島県会津若松市追手町1-1




この鶴ヶ城最後の殿様が、先程のさっくり説明に出た、京都守護職会津中将松平容保です。
戊辰戦争では、約1ヶ月もの激戦に耐えた難攻不落の名城として有名です。





国内唯一の赤瓦の天守閣
様々な武器や貴重品々が展示され見ごたえたっぷり。ミニシアターも上映されていたり
子供にもわかりやすいですね。





太鼓門の奥には、太鼓門の上に兵を昇降させるための石垣 ” 武者走 ”





鶴ヶ城鉄門内にて、戊辰150周年記念 VR幕末の会津若松が上映されてました。CGの土方さんと、白虎隊の篠田さんが、幕末の会津を案内してくれます。 




茶室 麟閣

千利休の子「少庵」が会津の領主、蒲生氏郷に匿われたときに作られたとのこと。




最初に鶴ヶ城に来たのは、鶴ヶ城の御朱印張が欲しかったから。
歴代領主の家紋が描かれており、渋くてカッコいい!

歴代領主の中には、あの独眼竜正宗で有名な、伊達家の家紋も描かれています。





喫茶コーナー脇の案内所で1500円で販売してます。
 




登城記念の御朱印も一緒に頂きました。こちらも歴代領主の家紋が押印、達筆で素敵ですね。
敷地内にある、鶴ヶ城稲荷神社の御朱印は、会津葵の紋が押印されています。
こちらは土日のみテントにて頂くことができます。






鶴ヶ城で購入の両面金色のトランプ。

すべてのカードに、鶴ヶ城が描かれてます。




予定時間の倍以上長居してしまい、次なる目的地の前に、お昼タイム。娘リクエストの喜多方ラーメンと決めてはいたものの・・・。
鶴ヶ城でもらってきた観光マップで探してみると、武家屋敷の駐車場内だって。わかりやすいしここにしよう!





喜多方ラーメン600円 チャーシューメン750円 とってもリーズナブル。
つけ麺とかソフトクリームなんかもありました。





平打ちのもちもちした縮れ麺、チャーシュー分厚くておいしかったです。







時間の都合で、武家屋敷をスルーして次の目的地へ。車で2,3分で着きました。





■ 天寧寺 近藤勇の墓

〒965-0813 福島県会津若松市東山町石山天寧208




天寧寺の裏手に近藤局長の墓があるとのことで、獣道を登っていきます。






この先に、土方歳三が建てたと言われる近藤勇のお墓があります。遺髪など、ここに埋葬したと伝えられています。 




季節的に、蜂とかブンブンしてて、大騒ぎ。 肝心のお墓の写真を撮り忘れ退散してしまいました。

戒名は「天院殿純忠誠義大居士」 容保公が授けたそうです。





石碑には、近藤勇が斬首の時に詠んだ詩が刻まれています。




孤軍援絶作囚俘 顧念君恩涙更流 
一片丹衷能殉節 雎陽千古是吾儔
靡他今日復何言 取義捨生吾所尊
快受電光三尺劔 只將一死報君恩 



孤軍たすけ絶えて俘囚となる 顧みて君恩を思えば涙さらに流る 
一片の丹衷よく節に殉ず 雎陽千古これ吾がともがしら 
他になびき今日また何をか言わん 義を取り生を捨つるは吾が尊ぶ所 
快く受けん電光三尺の剣 只まさに一死をもって君恩に報いん 




毎年、4月25日の命日には、供養祭が行われるそうです。





■ 飯盛山 白虎隊自刃の地

〒965-0003 福島県会津若松市一箕町飯盛山上




石段は山頂までは183段・・・。う~ん・・・。「動く坂道」スロープコンベアを利用して、山上まで楽して到着。





 白虎隊十九士の墓
、「城は陥落したか、今は主君のために殉じよう」20名の隊士が飯盛山で自刃をされ、1人蘇生された飯沼少年を除いた19士の墓となります。



16~17歳の少年たちで編成された白虎隊が、戸の口堰の洞門をくぐり飯盛山に辿り着くと、鶴ヶ城の天守閣は黒煙の中、「生き恥をさらすより潔く死を選ぶ」と、全員が自刃しました。1人だけ生き残った、隊士により人々に言い伝えられたんですね。でも実際は燃えてはいなかったみたいです・・・。   





戸の口堰の洞門  
戊辰戦争で、 白虎隊が鶴ヶ城の情勢を確認するためこの洞穴をくぐり飯盛山に向かいました。




さざえ堂食(国指定重要文化財) 
西国三十三観音菩薩を安置した六角三層の観音堂です。





さざえの殻に似ていることから『さざえ堂』と呼ばれ、階段のない螺旋通路で一方通行の世界にも例のない六角三層の観音堂です。




飯盛山はその他にも、宇賀神堂、厳島神社、白虎隊最後の自刃の絵や戊辰戦争直後の鶴ヶ城の写真などを展示している資料館、白虎隊記念館 その他にも見どころたっぷりで、1日中居られそうです。





白虎隊碑




 
鶴ヶ城の方角を指し示す隊士の石像
実際は、武家屋敷から昇っていた煙だと言われている





白虎隊自刃の場





飯盛山では、御朱印が3つ頂くことが出来ます。



①さざえ堂付近にある宇賀神堂の近くになる売店で頂ける御朱印「忠烈義烈 白虎隊十九士霊神」 
  こちらはスタンプになります。

②観光土産売店で頂ける御朱印「忠烈 白虎隊」会津白虎士魂ここに眠る
  こちらの御朱印は、受付中止になってました。。。オークションで転売されていると張り紙されてました。なんと罰が当りな!
  達筆でカッコいい御朱印なだけに非常に残念⤵

③「動く坂道」スロープコンベア チケット販売所にて頂ける御朱印「会津の華と名を残して 忠烈 白虎隊」






こちらの御朱印のみ頂きました。達筆でカッコいいですね。




■ 旧滝沢本陣

〒965-0003 福島県会津若松市一箕町滝沢122




飯盛山から徒歩2,3分のところにあります。
国指定史跡・国指定重要文化財です。




前々から、斎藤さんがここから戦いに出て、刀傷とかあるんだよ~って、子供たちも楽しみにしていた場所なんでワクワク♪




こじんんまりとしており、受付に、敷地内の住宅のおばちゃんがいるだけで、常駐者がおらず、ひっそりしていて、逆に自由に見学できて一番盛り上がったかな?





参勤交代や領内の視察に出た際に休憩所として使用し、戊申戦争時は本営になった場所です。
斎藤一率いる新撰組や、白虎隊もこちらから出陣したとのこと。





柱や障子にはたくさんの傷跡がありました  





トイレはちゃんと便器なんですね。木製で渋い  





 中庭も手入れされており綺麗です




陳列品も自由に見ることが出来ます。参勤交代の道具や、古文書が公開されていました。




名子屋で、パパが、今でいうとノート? 的なものを「見てみて!」とペラペラめくってる。
「えっ、触っていいの??」「触らないでくださいって何処にもないからいいんじゃない?」


・・・。確かに。そういったものは一切ない。


子供たちは、「なにこれ?布に書いてある~。」  「いやこれ、和紙だよ。」  障子に貼ってあるあれだよ。と教えるも、なんか昔の和紙って今のと違ってほんと布みたいにしっかりしてる。


漢字ばっかりで達筆で読めない・・・。


「あっ!! みかん20 って書いてある!!」 あーほんとだww 「お買い物メモじゃね?」 なんて言いながら盛り上がってました。




■ 阿弥陀寺  斎藤一の墓

〒965-0044福島県会津若松市七日町4-20




七日町駅の目の前にある、ひっそりとした寺です。
駐車場がないので、すぐ近くの市営駐車場(七日町浪漫デッキ駐車場 30分 100円)を利用しました。








阿弥陀寺境内には、四方を柵で囲まれる戊辰戦争殉難者戦死墓があります。


斉藤一の墓、萱野権兵衛遥拝碑もあります。





阿弥陀寺の葵紋(会津葵紋)



御三階と呼ばれる櫓があり、元々鶴ヶ城内にあったものが移築されました。





内部は4層構造になっており、密談などに使われたと言われています。






藤田五郎と改名、その後は東京で警察官となります。
72歳で往生を遂げた斎藤一は、会津人として生きた彼の希望により、ここ阿弥陀寺に葬られています。
  



もっと他にも行きたいところがあったんですが、あっという間に夕方になってしまいました。
次回にまた訪れたいと思います。






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